義母から施設に入りたいと言われたけど、答えられなかった

朝の六時半、まだ誰も起きていない台所で、私は義母の薬を曜日ごとのケースに移していた。テーブルの上には昨夜のうちに用意しておいた義母の朝食がラップをかけて置いてある。冷蔵庫の音だけがやけに大きく聞こえて、手元の錠剤が一粒、床に落ちた。

這いつくばって探しながら、ああ、また今日が始まるんだと思った。

私の名前は高橋美咲。四十八歳。夫の和也とは大学のサークルで知り合って、二十五で結婚した。子どもは二人。上の娘はもう働いていて一人暮らし、下の息子は大学三年生で、まだ家にいる。十年前に夫の父が亡くなってから、義母は千葉の実家で一人暮らしをしていた。それが三年前の春、駅の階段で転んで足を骨折して、退院後そのままうちに来た。最初は「夏までには戻るから」と言っていた。でも結局、戻らなかった。

義母の名前は高橋静子。七十八歳。要介護一。自分で歩けるし、トイレもお風呂もなんとか一人でできる。でも料理はもう危なっかしくて、火の始末も心配だし、買い物も一人では行かせられない。だから食事の用意と薬の管理と通院の付き添い、あとは役所の手続きやら何やら、そういうのが全部、私の仕事になった。

夫はというと、昔からそうなんだけど、そういう「家のこと」には本当に無関心だった。いや、無関心というより、見えないことにしているんだと思う。義母が来た当初は「悪いな、頼むな」と何度か言っていた。でもそのうち言わなくなった。今では朝、私が義母の朝食を出している横で、自分のトーストだけ焼いて、スマホを見ながら食べて、さっさと出勤していく。

私も働いている。近所のスーパーの精肉コーナーで、週五日、九時から三時まで。パートだから時給は千八十円。月に十万いくかいかないか。昔は正社員だったけど、下の子が生まれたときに辞めて、それからはずっとパートだ。この歳になると、もう正社員には戻れない。戻る気力もない。

義母は、悪い人ではない。それはわかっている。朝は必ず「ありがとうね」と言うし、私が仕事から帰ると「おかえりなさい、疲れたでしょう」と声をかけてくれる。でも、それだけだ。それ以上は何もしない。いや、できないのかもしれない。でも、時々思う。この人は、私の人生を何だと思っているんだろう、と。

先月、久しぶりに高校時代の友達と三人でランチをした。一人は去年、ご主人を亡くして、今は気楽に一人暮らしをしている。もう一人は、子どもが独立してから夫と二人で旅行ばかりしている。二人とも楽しそうだった。私はというと、ランチの途中で二回も時計を見ていた。三時までに帰らないと、義母が退屈している。いや、退屈しているだけならいい。何かあったら、と思うと落ち着かない。

「美咲は偉いよ、本当に」と友達が言った。でもその言い方には、どこか「自分はそうなりたくない」という響きがあった。わかる。私だって、十年前の自分に「あなた、四十八で義母の介護してるよ」と言ったら、信じないと思う。

家に帰ると、義母はリビングのソファでテレビを見ていた。音量が大きい。耳が遠くなっているから仕方ないけど、その大音量のワイドショーが、なんだか私の神経を逆なでする。

「ただいま」
「あら、おかえりなさい。楽しかった?」
「うん、まあ」
「いいわね、若い人は」

若い人。四十八の私を、七十八の義母は「若い人」と言う。でも、その言葉に悪意はない。ただ、自分と比べて若いというだけだ。それなのに、私はその言葉に小さな棘を感じてしまう。心が狭いんだと思う。

夕方、息子が帰ってきた。大学の友達と遊んでいたらしく、機嫌がいい。リビングで義母と何か話している。義母は孫には本当に優しい。いや、優しいというか、甘い。息子が小さい頃から、義母は何かと息子の味方だった。私が叱ると「まあまあ」と止めに入る。今でもそうだ。息子が夜遅く帰っても「若いんだから当たり前よ」と言う。私が何か言うと、義母は黙るけど、その顔に「またお母さんがうるさいことを言ってる」と書いてある。

夫が帰ってきたのは八時過ぎ。夕食はカレーにした。義母はカレーが好きだ。でも、最近は辛いのが少し苦手になったらしく、私だけ別に甘口を用意する。夫はそれを見て「また別に作ったの?」と言った。別に、というほど手間じゃない。レトルトを温めただけだ。でも、その言い方が引っかかった。

「お母さん、辛いの苦手になったから」
「ふうん」

会話はそれで終わり。夫はカレーを食べながらスマホで野球の結果を見ている。義母は「おいしいわね」と二回言った。息子は無言でおかわりをよそっている。私は、なんだか急に、この食卓にいる全員が他人みたいに思えた。

夜、お風呂から上がって、洗面所で髪を乾かしていたら、義母がトイレに起きてきた。私に気づくと「あら、まだ起きてたの」と言って、そのままトイレに入った。私はドライヤーを止めて、リビングに移動した。義母がトイレから出てくるのを待って、一応「大丈夫?」と声をかける。義母は「大丈夫よ、心配しすぎ」と笑った。

心配しすぎ。そうかもしれない。でも、心配しなくなったら、きっともっと楽になるのに、それができない。義母が転んだら、また入院して、今度はもっと大変になる。そう思うと、目が離せない。これはもう、習慣というか、呪いみたいなものだ。

先週、娘が久しぶりに電話をかけてきた。仕事が忙しいらしい。二言三言話して、最後に「お母さん、大丈夫? なんか疲れてない?」と言われた。私は「大丈夫だよ、いつも通り」と答えた。でも、電話を切ったあと、涙が出た。娘に心配されるなんて、情けない。でも、誰かに「疲れてない?」と聞かれたのが、どれだけ久しぶりだったか。

その夜、夫に「ねえ、お母さんのことなんだけど」と切り出した。夫はもう布団に入っていて、スマホをいじっていた。

「ん?」
「デイサービスとか、考えない?」
「デイサービス?」
「週に二回くらい行ってくれたら、私も少し楽になるし、お母さんも気分転換になると思うの」
「お母さん、行きたがらないだろ」
「でも、一回見学だけでも」
「お前が言えばいいじゃん」
「私が言うと、また嫌な顔されるから」
「そうかなあ」

夫はスマホから目を離さない。私はそれ以上言えなくなって、布団をかぶった。暗い天井を見ながら、この人と結婚して二十三年、いったい何を話し合ってきたんだろうと思った。いや、話し合ってこなかったんだ。私が全部やって、夫はそれに慣れて、それが当たり前になった。私も、それが当たり前だと思ってきた。でも、もう限界なのかもしれない。

翌朝、義母が「昨日、和也と何か話してた?」と聞いてきた。寝室の声が聞こえていたらしい。私は「別に、なんでもないよ」と答えた。義母は「そう」と言って、お茶を一口飲んだ。それから、小さな声で「私、迷惑かけてるわよね」と言った。

私は何も言えなかった。迷惑じゃない、とも言えない。迷惑だ、とも言えない。ただ、湯飲みを洗いながら、蛇口の水の音がやけに大きく感じた。

「美咲さん、私、施設に入ろうかしら」

義母の声は、いつもより少しだけ震えていた。私は振り返らなかった。振り返ったら、何か言わなければいけない気がしたから。

「急にどうしたの」
「だって、あんた、疲れてるでしょう」
「疲れてないよ」
「嘘おっしゃい」

義母はそう言って、テレビをつけた。大音量の朝の情報番組が、リビングに流れ始めた。私は黙って、義母の朝食の皿を片付けた。食器がカチャカチャと音を立てる。心の中では、施設に入ってくれたらどんなに楽かと考えている自分と、そこまで追い詰めてしまったのかと責める自分が、同時にいた。

その日、仕事中も上の空だった。レジ打ちを間違えて、先輩パートの岡田さんに「美咲さん、大丈夫?」と声をかけられた。大丈夫、と笑ったけど、全然大丈夫じゃなかった。夕方、家に帰ると、義母はソファでうたた寝をしていた。テレビはつけっぱなし。私は音を消して、義母の肩にそっと毛布をかけた。義母は薄く目を開けて「あら、ごめんなさい」と言った。

「いいよ、そのまま寝てて」
「ごめんね、ほんとに」

義母はまた目を閉じた。私は台所に行って、夕食の支度を始めた。冷蔵庫を開けると、昨日買った豆腐が一つ、賞味期限を切れていた。ああ、また無駄にした、と思った。でも、それ以上に、義母の「ごめんね」が頭の中で繰り返されていた。

あの人は、謝ることしかできない。私も、許すことしかできない。でも、その繰り返しが、お互いを少しずつ削っているような気がする。

夜、夫に「お母さん、施設って言ってたよ」と伝えた。夫は一瞬、箸を止めた。それから「ふうん」と言って、また食べ始めた。

「どう思う?」
「お母さんがそう言うなら、考えれば?」
「あなたはどうしたいの」
「俺は、どっちでも」

どっちでも。その言葉が、胸に刺さった。この人は、本当にどっちでもいいんだ。母親が施設に行こうが、妻が疲れ果てようが、自分に関係なければそれでいい。いや、関係ないと思っているわけでもない。ただ、考えたくないだけだ。考えるのが面倒なだけだ。

私は、それ以上何も言わなかった。言うだけ無駄だと思った。でも、心のどこかで、まだこの人に何かを期待している自分がいる。それが一番、苦しい。

あれから一週間、義母は施設の話をしなくなった。私も切り出せない。夫は相変わらずだ。息子は、相変わらずだ。私は、相変わらず、朝六時半に起きて、義母の薬をケースに移している。

今朝、一粒、床に落ちた。這いつくばって探しながら、ああ、また今日が始まるんだと思った。でも、昨日と違うのは、義母が「施設に入ろうかしら」と言ったあの声が、まだ耳に残っていることだ。

私は、あの声に、どう答えればよかったんだろう。今でもわからない。