同居した義母が朝に繰り返していた不思議な音の正体

リビングの隣の和室で、義母が箪笥の引き出しを開け閉めする音が、朝の六時半から聞こえていた。私はキッチンで、まだ眠っている夫と中学生の娘の分まで含めた味噌汁の具を考えながら、冷蔵庫の豆腐の賞味期限を確認していた。引き出しが閉まるたびに、古い木がきしむような、小さくて硬い音がした。

二週間前、夫の実家が建て替えのため、義母がうちに来ることになった。期間は三か月の予定だった。夫は「母さん一人だし、狭いけどなんとかなるよ」と言った。私は「そうだね」と答えた。それ以外に何と言えばいいのか、そのときは思いつかなかった。

義母は七十四歳で、まだ足腰はしっかりしている。朝は必ず五時半に起きて、着替えてから仏壇に手を合わせる。うちには仏壇がないので、代わりに和室の窓のほうを向いて、小さく頭を下げているのを一度だけ見たことがある。声はかけなかった。かけないほうがいいような気がした。

朝食のとき、義母は「お米が美味しいわね」と言った。私は「近所のスーパーで買ってるんです」と答えた。夫はスマホで株価か何かを見ながら、うんうんと相槌を打っていた。娘はまだ眠そうで、パンをちぎって口に運ぶのが遅かった。義母は娘の制服のスカート丈に何か言いたそうだったが、結局何も言わずにお茶を飲んだ。

その日、私はパート先のスーパーのレジで、いつもより少し丁寧に袋詰めをした。昼休みにスマホを見ると、夫からLINEが来ていた。「今日、母さん、銀行に行くって。通帳の場所とか聞かれたら適当に」とあった。私は「わかった」とだけ返した。既読がついて、それ以上は何も来なかった。

夕方、家に帰ると、義母が和室の真ん中に座って、古いアルバムを広げていた。うちに持ってきたのか、それとも実家から送らせたのかはわからない。白黒の写真に、若い義母と、その隣に立つ義父が写っていた。私は「おかえりなさい」と言おうとして、やめて、ただ「ただいま」とだけ言った。義母は顔を上げて、「ああ、おかえりなさい」と言った。それから、アルバムを閉じて、箪笥の上に置いた。

夕食の準備をしていると、義母が台所に来て、「何か手伝うことある?」と聞いた。私は「大丈夫です、座っててください」と答えた。義母は少しだけその場に立っていて、それから「そう」と言ってリビングに戻った。冷蔵庫を開けると、昨日買った小松菜が少ししなびていた。私はそれを取り出して、油揚げと一緒に炒めることにした。

夜、夫と寝室で話した。夫は「母さん、やっぱり気を遣ってるよ。お前も大変だと思うけど、もう少しだけ我慢してやって」と言った。私は「別に我慢してるわけじゃないよ」と答えた。夫は「ならいいけど」と言って、布団に入った。私は天井を見ながら、義母が朝に開け閉めしていた箪笥の引き出しの音を思い出していた。あの音は、何かを探していたのだろうか。それとも、ただの癖なのだろうか。

次の日、娘が学校から帰ってきて、義母と二人でテレビを見ていた。私はパートから帰ると、玄関に知らない靴が揃えてあった。女物の黒いパンプスだった。リビングに入ると、義母の妹だという人が座っていた。七十歳くらいの、義母より少し小柄な女性だった。義母は「妹の久子です。近くまで来たから寄ってもらったの」と説明した。久子さんは「突然すみません」と言って、丁寧に頭を下げた。私は「いえ、どうぞごゆっくり」と答えて、お茶を出した。

久子さんは一時間ほどいて、帰り際に玄関で義母と何か小声で話していた。私は聞こえないように、キッチンで洗い物をしていた。でも、最後に久子さんの声だけが少し聞こえた。「お姉ちゃん、無理しないでね」と。義母は何も答えなかった。玄関のドアが閉まる音がして、義母はリビングに戻って、またテレビをつけた。私は洗い物を続けた。

その夜、義母が突然、「来週、実家に一度戻るわ」と言った。夫が「どうしたの、何かあった?」と聞くと、義母は「ちょっと片付けたいものがあって」とだけ言った。私は「送っていきましょうか」と言った。義母は「電車で大丈夫よ」と首を振った。夫は「無理しないでよ」と言って、またスマホを見た。

義母が実家に戻る前日、私は思い切って聞いてみた。「お義母さん、何か気になることありますか。うちにいて、不便なこととか」と。義母は少し驚いた顔をして、それから「別に、何もないわよ」と言った。でも、そのあと少し間があって、「ただ、あの箪笥、引き出しが固くて。朝、開けるのが大変なのよ」と笑った。私は「ああ、あれ、古いですもんね」と答えた。義母は「そうなの。でも、もう慣れたわ」と言った。

義母が実家に戻った日、私は仕事が休みだった。朝、和室に入ると、箪笥の上に小さな紙が置いてあった。義母の字で「お世話になりました。また戻ります」と書いてあった。私はその紙を手に取って、しばらく立っていた。それから、引き出しを一つ開けてみた。中には、義母の肌着と、折りたたまれた薄いハンカチが数枚入っていた。引き出しは確かに固くて、開けるときに小さく音がした。

私はその日、家の掃除をした。和室の窓を開けて、空気を入れ替えた。箪笥の上に置いてあった紙は、リビングのテーブルの上に置いた。夫が帰ってきたら見せようと思った。でも、夫は帰ってきて、それを見ても「ああ、そう」とだけ言って、冷蔵庫からビールを出した。私は何も言わなかった。

義母は予定より二日早く戻ってきた。玄関で「ただいま」と言ったので、私は「おかえりなさい」と答えた。義母は手に小さな紙袋を持っていて、「駅前で買ったの。みんなで食べて」と、饅頭を差し出した。私は「ありがとうございます」と受け取った。義母は和室に行き、箪笥の引き出しを開けた。音は、前より少しだけ小さくなっていた。油を差したのかもしれない。

その夜、夕食のあと、義母が「久子に会ってきたの」と切り出した。夫が「ああ、この前来てたね」と言った。義母は「あの子、最近、膝が悪くて。病院に付き添ってほしいって言われて」と続けた。私は「大変ですね」と言った。義母は「でも、私も年だから、人のことばかりやってられないわ」と笑った。夫は「まあ、無理しないでよ」と繰り返した。

私はそのとき、義母が朝に箪笥の引き出しを開け閉めしていたのは、久子さんに渡すものを探していたのかもしれないと思った。でも、聞かなかった。聞いても、義母は「別に」と言うだろう。そういう人だということが、この数週間でなんとなくわかっていた。

次の朝、義母はいつも通り五時半に起きて、和室で着替えていた。私はキッチンで味噌汁の具を考えていた。冷蔵庫には豆腐がなかったので、玉ねぎとわかめにしようと思った。箪笥の引き出しの音は、もう聞こえなかった。