夫に介護を代わってほしいと頼んだらパートだろと言われた

朝、洗面所の鏡を見たら、目の下に濃い隈ができていた。昨夜も義母が三回起きて、そのたびにトイレに付き添った。パートの勤務中、レジの前で一瞬、自分が何をしているのか分からなくなった。お釣りを渡す手が震えているのを、後ろに並んでいた若い女の子に見られた気がした。

あれは、ちょうど一年前の秋だったと思う。義母が倒れたのは、平日の昼下がりだった。スーパーの鮮魚コーナーで買い物中に、右手に持っていたパックの刺身を落として、その場にしゃがみ込んだらしい。幸い、近くにいた人がすぐに救急車を呼んでくれて、命に別状はなかった。左半身に軽い麻痺が残った。医師からは「リハビリ次第で、日常生活の多くは取り戻せるでしょう」と言われた。七十六歳。それまで一人で暮らしていた。

夫の健一は三兄弟の長男で、下に弟が二人いる。義父は十年前に胃がんで亡くなっている。義母は神奈川県の藤沢市に住んでいて、私たち夫婦は埼玉県の川口市にある分譲マンションに住んでいた。夫は都内の電機メーカーに勤める五十二歳。私は四十九歳で、近所のドラッグストアでパートをしていた。娘が一人いて、当時は大学三年生で、一人暮らしをしていた。

退院後の義母をどこで見るか。最初の家族会議は、病院の面談室で開かれた。義弟の一人は名古屋に転勤中で、もう一人は千葉に住んでいるが、仕事が忙しいという。夫は長男だからか、最初から「うちで見るのが筋だろう」という空気を醸し出していた。私が何か言う前に、夫が「うちはマンションだけど、リビングの隣の和室を片付ければ何とかなる」と言った。私は隣で、膝の上のハンカチをずっと折り畳んでいた。

「お義母さんの年金は月に十万ちょっと。貯金もそんなにないみたいだし、施設に入れるのは難しいよね」と、千葉の義弟が言った。名古屋の義弟は、会議の間ずっとスマホを見ていて、最後に「兄貴、悪いけど、こっちは本当に帰れないから」と言った。夫は「分かってる。お前たちはたまに顔を出してくれればいい」と答えた。

そうして、義母が我が家に来ることになった。和室の押入れを整理して、介護用のベッドをレンタルした。トイレには手すりを付けた。娘が使っていた勉強机は粗大ごみに出した。夫は「ありがとう」と一度だけ言った。それで終わりだった。

最初の三か月は、まだ何とか回っていた。義母は杖をつきながら、ゆっくりだが自分でトイレにも行けた。食事も、刻み食にすれば一人で食べられた。私は朝五時に起きて、夫と義母の朝食を作り、洗濯をして、九時から二時までパートに出て、帰宅してから夕食の準備をした。夫は七時過ぎに帰ってきて、義母に「調子はどう?」と声をかけるだけだった。

夜中に義母がトイレに起きるようになったのは、年が明けてからだ。最初は「すみませんね」と申し訳なさそうに言っていたが、そのうち無言で壁を叩くようになった。コツコツという音で目が覚める。時計を見ると、たいてい二時か四時だった。私は起きて、義母の手を引いてトイレに連れて行く。下着を下ろすのを手伝い、終わったら拭いてあげる。最初は恥ずかしそうにしていた義母も、慣れてくると「もっと後ろを拭いて」と指示するようになった。

夫は隣の寝室で、いびきをかいて寝ていた。

春先、パート先の店長に呼ばれた。「最近、レジのミスが多い。お客様から、お釣りを間違えられたって連絡も来てる」と言われた。私は「すみません」と頭を下げた。店長は「体調が悪いなら、一度休んだら?」と優しく言ってくれたが、その優しさが逆にきつかった。休めるわけがない。私が休んだら、義母の世話は誰がするのか。

家に帰ると、義母がリビングのソファに座ってテレビを見ていた。私の顔を見て「おかえり。今日は遅かったわね」と言った。時計を見ると、まだ三時半だった。普段と変わらない時間なのに、遅いと言われた。私は「そうですか」とだけ答えて、買ってきた食材を冷蔵庫に入れた。

その夜、夫に「もう限界かもしれない」と話した。夫はパソコンで仕事のメールを見ながら「何が?」と聞いた。私は「お義母さんのこと。夜中に何度も起きるし、私も寝られてない。パートでもミスが増えてる」と言った。夫はしばらく黙ってから「でも、施設は金がかかるし、ヘルパーを頼むにしても限度があるだろ」と言った。私は「あなたも夜、代わってくれない?」と頼んだ。夫は「俺は朝早いし、会議もある。寝不足で仕事に穴を開けるわけにはいかない」と、パソコンの画面を見たまま答えた。

「私だって仕事に行ってる」と、声が少し大きくなった。夫はようやく私の方を向いて「パートだろ」と言った。

その一言で、何かが切れた。というより、切れたことに気づいた。涙も出なかった。ただ、体の中の温度が下がっていく感じがした。

翌日、私は義弟二人にLINEを送った。直接会うのは難しいから、ビデオ通話で話したいと。名古屋の義弟は「忙しいから、用件を先に送って」と返してきた。千葉の義弟は既読が付いたまま、二日間返事がなかった。

三日後、ようやく三人で画面越しに顔を合わせた。私は、夜中の付き添いの頻度、私の睡眠時間、パートでのミス、夫が一度も夜中に起きてくれないことを、淡々と話した。名古屋の義弟は「それは大変だね」と言った。千葉の義弟は「兄貴に言ったの?」と聞いた。私は「言った。でも、仕事があるから無理だって」と答えた。

画面の向こうで、二人は黙った。私は「お金を出し合って、プロの介護サービスを入れたい。夜間だけでも、週に三日、来てもらえないか」と提案した。名古屋の義弟が「いくらかかるの?」と聞いた。私は「夜間の訪問介護なら、一時間あたり三千円から五千円くらい。週三日、四時間で計算すると、月に五万から六万くらい」と答えた。千葉の義弟は「結構するね」と言った。

「でも、三人で割れば、一人二万くらい。それで私が倒れずに済むなら、安いと思う」と私は言った。夫は隣で、腕を組んで黙っていた。

名古屋の義弟が「兄貴はどう思ってるの?」と聞いた。夫は「俺は、そこまでしなくても、まだ何とかなると思ってる」と言った。私は夫の顔を見た。「何とかなってるのは、私だけが寝ないで頑張ってるから。あなたは毎晩、普通に寝てるじゃない」と言った。夫は何か言いかけて、やめた。

千葉の義弟が「分かった。俺は出すよ。ただ、毎月はきついから、とりあえず三か月分だけでも」と言った。名古屋の義弟も「俺も出す。その代わり、ちゃんと領収書を見せて」と言った。私は「ありがとう」と言った。夫は最後まで不機嫌そうだったが、反対はしなかった。

介護サービスが始まってから、夜中の付き添いが週三日、スタッフに代わってもらえるようになった。それだけで、体が少し軽くなった。義母は最初、知らない人が来るのを嫌がったが、担当の女性が五十代で、話し好きで、義母の昔の話をよく聞いてくれる人だったので、だんだん打ち解けていった。

それでも、週の半分は私が起きる。夫は相変わらず、一度も代わらない。ただ、以前と違うのは、私が「今日は私、寝るから。何かあったら、あなたが起きて」と言えるようになったことだ。夫は面倒くさそうに「分かった」とだけ言う。

パートのミスは、少しずつ減っていった。店長には「介護で大変だったんです」と話した。店長は「そうだったんだね。言ってくれれば、シフトを減らすこともできたのに」と言ってくれた。私は「いえ、働いてる方が気が紛れるんで」と答えた。本音は、働いていないと家の中のことで頭がおかしくなりそうだったからだ。

娘がたまに帰ってくると、義母の世話を手伝ってくれる。でも、娘には「自分の人生を優先しなさい」と言っている。あの子が二十歳そこそこで、おばあちゃんの下の世話をする必要はない。夫には一度、「あなたの娘にだけは、私と同じ思いをさせたくない」と言ったことがある。夫は何も言わなかった。

今も、義母は我が家にいる。介護サービスを入れてから、少しだけ余裕ができた。でも、根本的な問題は何も解決していない。夫は「長男だから」という言葉を盾に、私に全部を押し付けた。義弟たちはお金を出せばそれで役目を果たしたと思っている。私は、家族の中で、一人だけ違う生き物になったような気分だ。

昨夜も、義母が二時半に壁を叩いた。私は起きて、トイレに連れて行った。義母は「寒いわね」と言った。私は「そうですね」と答えた。部屋に戻ると、夫は相変わらず深く眠っていた。布団に入って、天井を見た。目を閉じても、なかなか眠れなかった。朝が来るのが、ただゆっくりで、でも確実に近づいてくるのを感じていた。