義母と同居して気づいた、夫の無関心と台所の空気感
朝の六時四十分、まだ誰もいないはずの台所から、換気扇の音がしていた。私は洗面所で歯を磨きながら、一瞬、体が固まった。昨日の夜、義母は「明日はゆっくり寝てていいから」と確かに言ったのに、もう起きて何かをしている。歯ブラシをくわえたまま、そっと廊下を覗くと、義母がシンクの前に立って、小鍋で味噌汁を温めていた。私が起きてきたことに気づくと、義母は振り返りもせずに言った。
「あら、早いのね。まだ寝ててよかったのに」
声は柔らかいのに、背中は「あなたが起きる前に全部やっておきたかった」と言っているように見えた。私は口の中の泡を飲み込みそうになりながら、「おはようございます」とだけ言って、洗面所に戻った。
あの朝から、ずっと何かが喉の奥に引っかかっている。
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私たち夫婦は、三年前に夫の実家を建て替えて、義母と同居を始めた。夫は長男で、義父は十一年前に亡くなっている。義母は当時から一人暮らしをしていたけれど、膝を悪くしてからは、駅前の整形外科に通うのも大変だと言うようになった。夫と話し合って、建て替えのときに義母の部屋を一階に作ることにした。私の両親は他県で二人とも元気に暮らしているから、同居の大変さを実感するのは初めてだった。
最初の一年は、お互いに遠慮があった。義母は「私はお世話になる身だから」と、洗濯も掃除も自分のことは自分でやろうとした。私もパートから帰ると、夕食の支度をしながら「何か手伝いましょうか」と声をかける義母に、「大丈夫ですよ、座っててください」と笑って答えていた。でも、いつの間にか、その「大丈夫ですよ」が、私の口癖になっていた。
私は四十八歳。夫は五十一歳。娘は大学二年生で、一人暮らしをしている。息子は高校三年生で、来年は家を出る予定だ。私は近所のスーパーの惣菜コーナーで、週五日、朝九時から午後四時まで働いている。パートを始めたのは、子どもたちが小学校に上がってからだから、もう十五年近くになる。時給は最初の頃からほとんど変わっていない。でも、家計の助けになっているという実感はあったし、何より、家の中だけにいないで済むことが、私には必要だった。
義母との関係が変わったのは、去年の秋ごろからだと思う。娘が大学の学費のことで、少し多めにお金が必要になった。夫に相談すると、「親父の遺産で何とかなるだろ」と言われた。確かに、義父が残したお金は、義母の通帳に入っている。でも、それを私たちが自由に使えるわけではない。義母に話すと、義母は「いいわよ、孫のためなら」と、すぐに通帳を出してきた。ありがたかった。でも、そのとき義母がちらりと私を見た気がした。「あなたの稼ぎだけじゃ足りないでしょう」と、口には出さないけれど、そう思われているような気がした。
それから、義母は家の中のことを、少しずつ自分で仕切るようになった。買い物の曜日を決め、洗剤の銘柄を指定し、私が作った夕食に「今日は味が濃いわね」と、必ず一言添えるようになった。夫は「年寄りはそういうもんだ」と笑って済ませる。私も最初は聞き流していた。でも、毎日続くと、自分の家なのに、自分が借りている部屋に帰ってきているような気分になる。
一番つらかったのは、先月の日曜日だ。私が久しぶりに、昔のパート仲間とランチに行く約束をしていた。朝、出かける支度をしていると、義母が「今日はどこへ行くの」と聞いてきた。「前の職場の人と、駅前で食事してきます」と答えると、義母は「ああ、そう」と言って、しばらく黙った。それから、小さな声で「日曜日ぐらい、家族でゆっくりしたらいいのに」と言った。私は「夕方には帰りますから」とだけ言って、家を出た。
ランチは楽しかった。昔の同僚は、今は別のスーパーでフルタイムで働いていて、「正社員にならないかって言われてるんだよね」と笑っていた。私は「すごいね」と言いながら、自分の手元の水のグラスを見ていた。彼女は独身で、自分のために働いている。私は家族のために働いている。どちらがいいとか悪いとか、そういうことではない。でも、帰りの電車の中で、私は何度も義母の言葉を思い出していた。
家に着くと、義母は居間でテレビを見ていた。私が「ただいま」と言うと、「おかえりなさい」と返ってきた。それから、しばらくして「夕飯、何にするの」と聞かれた。私は「あるもので作ります」と答えた。義母は「冷蔵庫に何もないわよ」と言った。私は「買ってきます」と言って、また靴を履いた。スーパーまでの道を歩きながら、涙が出そうになった。悲しいというより、腹が立っていた。でも、誰に怒っていいのかわからなかった。
夫に相談したのは、その夜だった。子どもたちがいない時間に、居間で二人きりになったとき、「お義母さんと、うまくいってない気がする」と切り出した。夫はスマホを見ながら「またか」と言った。「またかって、何」と聞くと、夫は顔を上げて「お前も母さんも、お互い気を遣いすぎなんだよ。もっと適当にやればいいだろ」と言った。私は「適当にやれないから、こうして話してるんじゃない」と声が大きくなった。夫は「わかったわかった」と手を振って、またスマホに目を落とした。
あのとき、夫は私の話を聞いていなかった。聞く気がなかった。夫にとっては、妻と母の間の問題は、自分には関係のない、面倒な女同士の話なのだ。私はそう思ったら、急に力が抜けた。
それから一週間ほど、私は義母と必要最低限の会話しかしなかった。義母も何かを感じたのか、少し距離を置いているように見えた。家の中が静かになった。静かすぎて、換気扇の音や、冷蔵庫のモーター音がやけに大きく聞こえた。
昨日、仕事から帰ると、義母が居間のソファに座って、古いアルバムを見ていた。私が「ただいま」と言うと、義母は「これ、見て」と、一枚の写真を指さした。夫が小学生の頃の運動会の写真だった。義母は「この子、いつも一番前で走ってたのよ。足が速くてね」と笑った。私は「そうなんですか」と答えて、隣に座った。義母は「あなたも、子育て、大変だったでしょう」と、突然言った。私は「まあ、いろいろありましたけど」と曖昧に笑った。義母は「私も、いろいろあったのよ」と、アルバムを閉じた。
そのあと、二人で夕食の支度をした。義母が大根を切り、私が鍋を見た。義母は「あの子、来年は家を出るんでしょう」と、息子のことを言った。私は「そうですね、たぶん」と答えた。義母は「寂しくなるわね」と言った。私は「そうですね」としか言えなかった。でも、その「寂しくなるわね」は、義母自身の言葉のようにも聞こえた。
今朝も、義母は私より先に起きて、味噌汁を作っていた。私は洗面所から出て、台所に行き、「手伝います」と言った。義母は「じゃあ、卵焼いてくれる」と言った。私は冷蔵庫から卵を出して、フライパンを温めた。二人で並んで、朝ごはんを作った。会話は少なかった。でも、あの朝のような、喉に引っかかる感じは、少しだけ薄れていた。
夫が起きてきて、「お、今日は二人で作ったのか」と、のんきな声を出した。義母は「ええ、まあね」と笑った。私は何も言わずに、卵を皿に移した。
まだ、何かが解決したわけではない。義母との間には、これからも小さな摩擦が起きるだろう。夫は相変わらず、私の話を真剣に聞かないかもしれない。でも、今朝、卵を焼きながら、義母が「あら、上手に焼けたわね」と言った。その一言が、妙にうれしかった。
たぶん、私はこの家で、まだ少しずつ、自分の場所を作っていくしかないのだと思う。それが正しいのかどうかは、まだわからない。