結婚祝いで3万円しかくれなかった親の本当の理由

葬儀社の人が来る前、母と二人で押入れを片付けていた。母が突然「これ、あんたのだよ」と、黄ばんだ封筒を差し出した。中には古い通帳と、折り目だらけのメモ用紙。開くと、私の名前で積み立てられていた形跡があった。最後の記帳は、私が結婚した年の三月で止まっている。

「なに、これ」

「あんたの結婚式のとき、お父さんが解約したやつ。足りなかった分は、お父さんの退職金から出したんだよ」

私は何も言えなかった。あの日、披露宴のあと、控え室で夫と二人、ご祝儀袋を開けたときのことを思い出した。母から渡された封筒には、三万しか入っていなかった。夫の両親からは百万もらっていた。私はその場で「え、これだけ?」と言ってしまった。母は黙って、私の手を握った。それだけだった。

あれから十二年。盆も正月も、実家には帰らなかった。電話がかかってきても、夫に代わってもらった。子どもが生まれたときも、写真をLINEで送っただけ。母からは「おめでとう」と短い返事が来た。それきりだった。

「なんで、あのとき言ってくれなかったの」

押入れの前で、私は声を震わせた。母は座り込んだまま、古いアルバムを膝に置いて、ページをめくるでもなく、表紙を撫でていた。

「言えるわけないよ。あんた、あのとき、すごく嬉しそうだったから」

「でも、三万はないよ。普通、親ならもっと包むでしょ。友達だって五万入れてくれたのに」

母はしばらく黙っていた。エアコンの音だけが、やけに大きく聞こえた。

「お父さん、あの式のために、全部で四百万出したんだよ。会場の支払い、衣装代、引き出物。それで精一杯だったの。ご祝儀は、あんたたちの新生活に使ってほしいって、お父さんが三万だけ残してくれたの」

私はその場にしゃがみ込んだ。十二年前の自分が、恥ずかしくてたまらなかった。夫の実家と比べて、自分の親はケチだと思っていた。あのとき、夫にも「うちの親、三万だって。信じられる?」と愚痴った。夫は苦笑いして、「まあ、いろいろあるよ」とだけ言った。

「お父さん、あのあと体調崩して、病院代もかかって。でも、あんたに迷惑かけたくないからって、何も言わなかったんだよ」

母の声は、責めるでもなく、ただ事実を並べるだけだった。それが余計に、胸に刺さった。

「ごめん」

私はやっと言った。声が小さすぎて、母に聞こえたかどうか分からなかった。もう一度、今度ははっきり言った。

「ごめんなさい。私、何も知らなくて」

母は首を振った。

「いいんだよ。あんたが元気でいてくれれば、それで」

その日は、葬儀の打ち合わせをして、母と近所のスーパーで惣菜を買って、二人で食べた。父の遺影の前で、母が「お父さん、今日はあんたの好きだったコロッケだよ」と言って、小さく笑った。私は何も言えず、ただ味噌汁を啜った。

帰りの電車の中で、夫からLINEが来た。「どうだった?」とだけ。私は「いろいろあった」と返した。既読がついて、しばらくして「そうか」と来た。それ以上は何も聞いてこなかった。

翌週、母から電話があった。仏壇のことで、宗派の確認をしてほしいという用件だった。話が終わって、切ろうとしたとき、母が「ねえ」と言った。

「あの通帳、持ってていいからね。あんたの名前で作ったものだから」

「うん。ありがとう」

「それと、あのときのご祝儀、三万でごめんね」

母の声が、急に小さくなった。私は受話器を握りしめた。

「やめてよ。私こそ、ごめん。ほんとにごめん」

電話の向こうで、母が鼻をすする音がした。私も涙が出て、うまく話せなかった。しばらく二人で黙って、そのうち母が「またね」と言って切った。

あれから、月に一度は実家に帰るようにしている。母と買い物に行って、夕飯を作って、父の仏壇に手を合わせる。まだ、あのときのことを全部許してもらえたとは思っていない。母は何も言わないけど、時々、私が台所に立つと、後ろからじっと見ていることがある。振り返ると、慌ててテレビの方を向いたりする。

先週、母が「あんた、昔、私が作った肉じゃが、まずいって言ったことあったね」と突然言い出した。私は覚えていなくて、「え、いつ?」と聞いたら、母は「中学生のとき。あれ、けっこう傷ついたんだから」と笑った。

「ごめん、覚えてない」

「いいよ、別に。でも、あのときのあんたの顔は覚えてる」

母はそう言って、また笑った。私は何だか泣きそうになって、急いで冷蔵庫を開けた。中には、私が買ってきたヨーグルトが、まだ手つかずで三つ並んでいた。