義母に食べられた100円のヨーグルトで、心が折れた話
冷蔵庫の前で、義母が最後のヨーグルトを手に取ったのを見た瞬間、胸の奥で何かがぷつんと切れる音がした。たかがヨーグルトだ。百円もしない、スーパーでいつでも買える。でも、あの時は本当に、それ以上我慢できなかった。
「お義母さん、それ、私が今日のお昼に食べようと思ってたんですけど」
声は思ったより平坦だった。義母は少し驚いた顔をして、手に持ったヨーグルトを見つめた。
「あら、そうだったの。ごめんねえ」
そう言いながらも、義母はヨーグルトを冷蔵庫に戻さなかった。そのままテーブルに持って行って、スプーンで蓋を開け始めた。私は黙って、シンクに残っていた朝の食器を洗い始めた。水の音で、何も聞こえないふりをした。
あれは三年前の春、義母が腰を痛めて我が家に来てから、数え切れないほど繰り返された風景のひとつだった。
夫の浩介とは大学の同級生で、卒業してすぐ結婚した。子どもは二人。上の娘はもう大学を出て東京で働いている。下の息子は大学三年生で、一人暮らしをしている。私は結婚してからずっと、地元の信用金庫でパートを続けてきた。午前九時から午三時まで。窓口の後ろで伝票を整理したり、電話を取ったり、来客にお茶を出したり。時給は千五十円。扶養の範囲内で、とずっと思って働いてきた。
家は結婚して十年目に建てた。郊外の分譲地で、駅からはバスで十五分。四LDKの建売だけど、当時は精一杯のローンを組んだ。月々の返済は九万八千円。ボーナス払いもあって、浩介の給料からすると決して楽ではなかったけど、子どもが小さいうちは家が広いほうがいいと思った。
義母が来ることになったのは、その家にまだローンが残っている頃だった。
浩介は長男で、妹が一人いる。義妹は名古屋に嫁いでいて、なかなかこっちには来られない。義父は十年前に亡くなっていた。義母はそれからずっと、隣の市の古い一軒家で一人暮らしをしていた。腰を痛めたのは、庭の草むしりをしていて転んだのがきっかけだった。骨折こそしなかったけど、しばらく一人で暮らすのは難しいという話になって、浩介が「うちで面倒を見る」と決めた。
その時、私は反対しなかった。反対できる空気じゃなかったし、自分でも薄情だと思われるのが怖かった。近所の人も親戚も、「長男の嫁なんだから」という目で見ていた。私の母も、「あんたがしっかりしないとね」と電話で言った。
だから、受け入れた。受け入れたというより、流された。
最初の半年は、お互いに遠慮があった。義母は朝起きると「おはようございます」と小さく頭を下げた。私も「おはようございます」と返した。洗濯物は別々に洗った。食事も、最初のうちは義母が「私、自分の分は自分で」と言って、台所に立とうとした。でも腰が痛くて立っていられないから、結局私が作ることになった。
だんだんと、遠慮は薄れていった。義母は朝六時に起きる人だった。私は六時半に起きて、浩介の弁当と朝ごはんを作る。義母はリビングのソファに座って、テレビのニュースを見ながら待っていた。私が朝ごはんを出すと、「ありがとう」と言って食べた。それから昼までテレビを見て、昼になると「お昼、どうする?」と聞いてきた。私はパートの日は朝のうちに昼の分を作り置きして出かける。義母はそれを温めて食べる。最初は「悪いねえ」と言っていたけど、そのうち何も言わなくなった。
ある日、仕事から帰ると、流しに食べ終わった皿がそのまま置いてあった。水に浸けてあるわけでもなく、カレーの跡がこびりついていた。私は黙って洗った。次の日も、その次の日も同じだった。さすがに言おうかと思ったけど、言ったら言ったで「腰が痛くて洗えなかった」と言われるのが目に見えていた。
浩介に相談したこともある。夜、布団に入ってから、小さな声で「お義母さんのこと、ちょっと」と言いかけた。浩介は「うん」と言ったきり、しばらく黙っていた。それから「母さんも年だし、あれこれ言うと余計こじれるから」とだけ言って、寝返りを打った。私は天井を見て、何も言えなかった。
浩介は悪い人ではない。真面目で、休みの日は庭の手入れをしたり、時々は義母を車で病院に連れて行ったりする。でも、日々の細かいことは全部こっちに降ってくる。洗濯物の量が増えた。買い物の量も増えた。義母の好みに合わせて、煮物は薄味に、ご飯は柔らかめに。私の作る味噌汁は「ちょっと濃い」と言われて、だしを変えた。浩介は気づかない。いや、気づかないふりをしているのかもしれない。
一番つらかったのは、娘が帰省した時のことだ。娘は東京で働いていて、お盆と正月にしか帰ってこない。久しぶりに会う娘と、ゆっくり話したかった。でも義母がずっとリビングにいて、テレビの音量を上げたまま居眠りをしたり、娘に「彼氏はおらんのか」と何度も聞いたりした。娘は愛想よく答えていたけど、私には娘の疲れがわかった。
夜、娘と二人で台所に立った時、娘がぽつりと言った。
「お母さん、大変だね」
私は「別に」と笑った。でも、その「別に」が自分でも嘘だと思った。娘は何か言いたそうだったけど、結局何も言わなかった。私も言わなかった。
それからしばらくして、義母の物忘れが目立つようになった。テレビのリモコンを冷蔵庫に入れたり、ガスの火を消し忘れたり。病院で診てもらうと、「加齢による軽度の認知機能低下」と言われた。要介護認定の申請をして、要支援一が出た。デイサービスを週に一回利用するようになった。
デイサービスの日は、朝の送り出しが少し大変だった。義母は行きたがらない。「あんな所に行っても、年寄りばっかりでつまらん」と言う。私は「お友達もできるかもしれないし」となだめて、なんとか送り出す。帰ってくると、「今日はどうでした?」と聞く。義母は「別に」とだけ言って、ソファに座る。
その「別に」を聞くたびに、私は娘に言った自分の「別に」を思い出した。似てるな、と思った。でも、義母の「別に」と私の「別に」は、多分全然違う。義母の「別に」は、私への当てつけのように聞こえた。私の「別に」は、ただの諦めだった。
お金の話も、少しずつ出るようになった。義母の年金は月に七万円ほど。貯金はいくらかあるようだったけど、浩介が管理していた。デイサービスの利用料や病院代は義母の口座から出していたけど、食費や光熱費はうちの家計から出していた。正直、月に二万円くらいは負担が増えていた。パートの給料の手取りが十万円くらいだから、その二万円は大きい。
でも、浩介に「お義母さんから生活費をもらえないかな」と言ったら、「母さんの金は母さんのものだろ。使う当てがあるなら別だけど」と取り合わなかった。私は「そうだね」と言って、それ以上は言わなかった。
近所の人は「優しいお嫁さんね」と言う。パート先の同僚も「えらいわあ」と言う。でも、その言葉が刺さるようになった。優しいんじゃない。えらいんじゃない。ただ、逃げられないだけだ。
あのヨーグルトの日、私は仕事から帰って、お昼を食べようとしていた。朝、出かける前に冷蔵庫に入れておいたヨーグルト。でも、義母がそれを食べていた。たったそれだけのことだ。でも、あの時、本当に限界だった。
私は台所に立ったまま、しばらく動けなかった。義母はテレビを見ながらヨーグルトを食べ終えて、空の容器をテーブルに置いた。私はそれを見て、何も言わずに片付けた。義母は「ごちそうさま」と言った。私は「はい」とだけ返した。
夜、浩介が帰ってきて、夕食の時に義母が言った。
「今日ね、ヨーグルトを食べたら、お嫁さんに怒られちゃった」
私は箸を置いた。浩介は一瞬、私を見た。それから義母に「怒ったんじゃないだろ」と笑いながら言った。義母も笑った。私は笑えなかった。
「怒ってないです。ただ、私が食べようと思ってただけです」
そう言うと、義母は「あら、そうだったの。ごめんねえ」と、また同じことを言った。浩介は「ヨーグルトくらい買ってくればいいだろ」と私に言った。私は「うん、そうだね」と答えて、味噌汁を飲んだ。味はしなかった。
その夜、布団の中で泣いた。声を出さないように、浩介に背を向けて。涙が耳に流れて、枕が冷たくなった。浩介は気づかなかった。いや、気づいていたかもしれない。でも、何も言わなかった。
次の日、私はスーパーでヨーグルトを二パック買った。一つは義母用に、一つは自分用に。冷蔵庫の同じ場所に入れた。義母はそれを見て、「あら、二つもある」と言った。私は「はい、一つはお義母さんのです」と言った。義母は嬉しそうに「ありがとう」と言った。
その笑顔を見て、私はまた泣きそうになった。ありがとうと言われると、余計に苦しかった。嫌な人間になりたいわけじゃない。でも、優しくあり続けるのは、もう限界だった。
それから少しして、義妹が久しぶりに帰ってきた。名古屋から新幹線で二時間。義妹はお土産に赤福を持ってきて、「お姉さん、いつも本当にありがとうね」と私に言った。私は「いえ、別に」と笑った。義妹は義母とリビングで話していたけど、夕方には「明日仕事だから」と帰っていった。
駅まで送っていった車の中で、義妹が言った。
「お姉さん、無理しないでね。うちの母、わがままになったでしょ」
私はハンドルを握ったまま、何も言えなかった。義妹は「私もたまには帰るようにするから」と言った。でも、たまに帰ってきて、お土産を置いて、優しい言葉をかけて帰るだけ。それで「助けてる」と思われても、こっちは何も変わらない。
でも、義妹に悪意がないのもわかっていた。彼女も彼女で、名古屋で義理の両親と同居している。人にはそれぞれ事情がある。だから、責められない。
家に帰ると、義母が「あの子、もう帰ったの?」と聞いた。私は「はい、明日仕事だそうです」と答えた。義母は「ふうん」と言って、テレビのチャンネルを変えた。
その夜、浩介に言った。
「私、もう少し自分の時間が欲しい」
浩介は新聞を読んでいたけど、顔を上げて私を見た。
「どういうこと?」
「デイサービス、週二回に増やせないかなって。それか、お義母さんにショートステイを利用してもらうとか」
浩介はしばらく黙って、それから「母さん、知らない所に泊まるのは嫌がると思うよ」と言った。
「でも、私、このままじゃ倒れちゃう」
声が震えた。浩介は驚いた顔をした。私は泣いていなかったけど、泣きそうだった。
「わかった。ケアマネージャーに相談してみる」
浩介はそう言って、また新聞を読み始めた。私は「ありがとう」と言った。でも、心の中では、相談するだけでは何も変わらないと思っていた。
実際、ケアマネージャーに相談して、デイサービスは週二回になった。義母は最初、「なんで二回も行かなあかんの」と文句を言った。でも、浩介が「母さん、体のためだよ」と言うと、渋々受け入れた。
デイサービスが二回になったことで、私の負担は少し減った。でも、根本的な問題は変わらなかった。義母が家にいる限り、私は「お嫁さん」で、義母は「お義母さん」のままだった。
先月、義母が突然「私、家に帰るわ」と言い出した。驚いて「どうしたんですか」と聞くと、「あんたに迷惑かけてるのがわからんほど、ぼけてない」と言った。
私は「迷惑なんて」と言いかけて、やめた。嘘だと思ったから。
義母は「浩介に言っておいて」と言って、自分の部屋に戻った。私はリビングに一人で座って、何をどうすればいいのかわからなかった。
浩介が帰ってきて、義母の言葉を伝えると、浩介は義母の部屋に行った。しばらく話し声が聞こえていたけど、浩介が戻ってきて「母さん、本気みたいだ」と言った。
「でも、一人で暮らすのは無理だよ。腰も悪いし、物忘れもあるし」
「わかってる。でも、母さんの気持ちもわかるだろ」
私は何も言えなかった。義母の気持ちはわかる。でも、私の気持ちは誰がわかってくれるんだろうと思った。
結局、義母はまだ我が家にいる。「家に帰る」と言った翌日、義母は「やっぱり、もう少しお世話になるわ」と、けろっと言った。浩介は「それでいいよ」と笑った。私は笑えなかった。
今も、毎朝六時半に起きて、朝ごはんを作る。義母はソファに座ってテレビを見ている。私はヨーグルトを二つ、冷蔵庫から出す。一つは義母に、一つは自分に。
時々、思う。この生活はいつまで続くんだろう。義母がもっと悪くなったら、私はもっと大変になる。でも、その時、私はまだ「優しいお嫁さん」でいられるだろうか。
わからない。今はただ、毎日をやり過ごすだけで精一杯だ。
昨日、スーパーでヨーグルトが特売だった。私は四パック買った。冷蔵庫に入れながら、これで当分もつな、と思った。でも、もつのはヨーグルトだけで、私の気持ちはもう、とっくにもたなくなっていた。