夫の早期退職と、その後の現実的な日々について

夫が会社の封筒をテーブルに置いた瞬間、何かが違うと思った。いつもの給与明細より厚い。開ける手が少し震えていたのは、たぶん気のせいじゃない。

中身は「早期退職者募集のお知らせ」だった。四十五歳以上、勤続十五年以上が対象。夫は四十八歳。勤続二十三年。条件にぴったり当てはまる。

「これ、どういうこと」

聞くと、夫はソファに座ったまま天井を見ていた。

「会社が希望者を募ってるんだよ。まだ強制じゃない」

「でも、これ来たってことは、そういう空気ってことでしょ」

夫は何も言わなかった。テレビでは天気予報が流れていて、明日は関東地方、午後から雨です、と若い女性の声が言っていた。

私たちには高校二年の娘と中学二年の息子がいる。住宅ローンはあと十二年残っている。夫の年収は七百五十万くらい。私のパートは月八万。それでどうにか回してきた。

「辞めたら、いくら出るの」

「退職金とは別に、割増金が上乗せされる。合わせて二千三百万くらいにはなる」

二千三百万。大きな額だ。でも、この先二十年をそれで暮らせるわけがない。

「再就職は」

「探す。でも、この年で同じ条件は無理だと思う」

夫の声は妙に落ち着いていた。腹が立つくらい冷静だった。

その夜、布団に入ってからも眠れなかった。隣で夫は早々に寝息を立てていた。私はスマホで求人サイトを見た。五十歳前後の男性、正社員、年収六百万以上。検索結果はほとんどなかった。

翌朝、いつも通り弁当を作った。卵焼き、ウインナー、ほうれん草の胡麻和え。夫は七時に家を出た。玄関で「行ってきます」と言う声が、いつもより小さく聞こえた。

私は洗濯機を回しながら、母のことを考えていた。実家の母は七十六歳。一人暮らしで、膝が悪い。去年から要支援の認定を受けて、週二回デイサービスに通っている。妹は名古屋に嫁いでいて、なかなか帰ってこられない。母のことは実質、私が見ている。

もし夫が辞めたら、母の介護にかかるお金も、今まで以上に私が工面しなければいけなくなる。パートを増やすしかない。でも、母の通院の付き添いで休むことも多いから、簡単には増やせない。

一週間後、夫が言った。

「会社から、希望するかどうか早めに返事してほしいって」

「どうするの」

「迷ってる」

「迷うって、辞める前提なの」

「違う。でも、残っても給料は下がる。役職も外れるかもしれない。それなら辞めた方がマシなのかなって」

私は黙って食器を片付けた。シンクにお湯を流しながら、心の中で叫んでいた。辞めたら終わりだよ、って。でも口には出せなかった。夫の顔を見たら、何も言えなくなった。

その週末、娘が部活の試合でいなかった。息子は塾。夫と二人でスーパーに買い物に行った。夕方のスーパーは混んでいて、レジに並びながら夫が言った。

「お前はどう思う」

「辞めないでほしい」

「そうだよな」

「でも、あなたが体を壊すくらいなら、辞めてもいいと思う」

夫は何か言おうとして、やめた。レジの順番が来て、私はポイントカードを出した。合計三千二百四十円です、と店員が言った。

家に帰って、二人で夕飯の支度をした。夫が味噌汁の豆腐を切る。私が鶏肉を焼く。換気扇の音だけがキッチンに響いていた。

「なあ」

夫が背中を向けたまま言った。

「もし辞めたら、お前のパートだけじゃ無理だよな」

「無理に決まってるでしょ。ローンもあるし、子どもたちの学費もこれからなのに」

「だよな」

夫は豆腐を鍋に入れて、手を洗った。それから冷蔵庫からビールを出して、プルタブを開けた。炭酸の音がやけに大きく聞こえた。

六月に入って、夫は会社に「辞めない」と伝えた。でも、それで終わりじゃなかった。七月の人事で、夫は営業部から総務部に異動になった。役職はそのままだったけど、仕事内容は大きく変わった。残業は減った。給料も少し減った。

「これで良かったのかな」

夫がぽつりと言ったのは、異動から二ヶ月が過ぎた九月の夜だった。

「良かったんだよ」

私はそう答えた。でも、心のどこかでは分からなかった。本当にこれで良かったのか。夫は毎日定時で帰ってくるようになった。夕飯を一緒に食べられるのは嬉しい。でも、その分、家の中に微妙な空気が流れるようになった。

夫はリビングでテレビを見ながら、スマホで転職サイトを眺めていることが増えた。私が横を通ると、慌てて画面を閉じる。見て見ぬふりをした。

十月、母が転んだ。スーパーの駐車場で、買い物カートに足を取られたらしい。幸い骨折はしていなかったけど、打撲がひどくて一週間ほど入院した。私は毎日病院に通った。夫は「俺も行こうか」と言ってくれたけど、仕事があるから断った。

退院後、母は急に弱気になった。

「もう一人で買い物に行くのが怖い」

「大丈夫だよ。私が週末にまとめて買っておくから」

「あんたにも迷惑かけるね」

「迷惑じゃないよ」

でも、正直に言えば、負担だった。夫の給料が減って、私のパートも増やせなくて、母の世話もあって。頭の中で計算ばかりしていた。

十一月のある日、妹からLINEが来た。

「お姉ちゃん、お母さんのこと、本当にありがとう。何かあったら言ってね」

「うん、大丈夫だよ」

そう返したけど、大丈夫じゃなかった。何かあったらって、何かあったらどうするの。名古屋から帰ってくるの。お金を出してくれるの。聞きたかったけど、聞けなかった。

その夜、夫がめずらしく早く帰ってきた。手にケーキの箱を持っていた。

「今日、何の日だっけ」

「何でもないよ。たまにはいいかなと思って」

箱を開けると、モンブランが二つ入っていた。私はコーヒーを淹れて、二人で食べた。甘くて、少しほっとした。

「会社、辞めなくて良かったのかもな」

夫がフォークで栗の部分を崩しながら言った。

「うん」

「でも、この先どうなるか分からない。給料はもう上がらないと思う。子どもたちの大学費用、足りるかな」

「奨学金とか、考えればいいよ。みんなそうしてる」

「お前に苦労かけるな」

「今さらでしょ」

私は笑った。夫も少し笑った。テレビでは年末の特番の予告が流れていた。もうそんな季節かと思った。

年が明けて、息子が「塾をやめたい」と言い出した。成績が上がらないから、意味がないと。

「でも、高校受験あるでしょ」

「俺、工業高校行きたいんだ。普通科じゃなくていい」

夫は「自分で決めろ」と言った。私は反対した。工業高校に行ったら、大学進学の道が狭まる。でも、息子の気持ちも分からなくはなかった。塾代だって馬鹿にならない。

二月、息子は塾をやめた。私は塾の解約手続きをしながら、これで月二万三千円浮く、と頭の中で計算していた。そんな自分が嫌だった。

三月、娘が大学のオープンキャンパスに行きたいと言い出した。志望校は都内の私立文系。学費を調べて、目がくらんだ。初年度納入金だけで百三十万を超える。

「奨学金、借りようと思う」

娘が言った。

「お母さんたちに迷惑かけられないし」

「迷惑とか、そういうことじゃないよ」

でも、反対できなかった。夫の給料は減ったまま。退職金はまだ先。預金は少しずつ減っている。現実は厳しかった。

四月、夫が会社で倒れた。正確には、倒れる寸前で自分から保健室に行ったらしい。動悸とめまいがひどくて、そのまま病院へ。診断は「過換気症候群」。ストレス性のものだと言われた。

会社から電話が来たのは午後三時だった。私はパートを早退して病院に向かった。夫はベッドに横になっていて、点滴を受けていた。

「ごめん」

夫が言った。

「謝らなくていいよ」

「情けない」

「情けなくないよ」

私は夫の手を握った。冷たかった。点滴の管が細く光っていた。

その夜、家に帰ってから、夫がぽつぽつと話し始めた。異動してから、周囲の目が冷たいこと。仕事が減って、居場所がないこと。毎日、会社に行くのが怖いこと。

「辞めたい」

夫が言った。

「もう限界かも」

私は何も言えなかった。辞めないでほしい。でも、死なれるよりはマシだ。頭の中で二つの言葉がぐるぐる回っていた。

「辞めていいよ」

気がついたら、そう言っていた。

「でも、条件がある。ちゃんと心療内科に行くこと。それから、ハローワークに通うこと。私もパートを増やすから」

夫は泣いていた。声を殺して、肩を震わせて。私は夫の背中をさすった。何も解決していないのに、なぜか少しだけ楽になった。

五月、夫は会社を辞めた。正式には「自己都合退職」。退職金と割増金を合わせて、二千四百万ほど手元に入った。私はパートを週四日に増やした。スーパーのレジ打ち。時給千百円。月に十一万くらいになる。

夫は心療内科に通いながら、ハローワークで求人を探している。でも、五十歳目前の男性に、条件のいい仕事はない。介護職や配送ドライバーならあるけど、体力的に続くか分からない。

「焦らなくていいよ」

私が言うと、夫は「でもな」と俯く。

「退職金があるから、しばらくは大丈夫。それに、私も働いてるし」

「お前に全部背負わせてるみたいで、申し訳ない」

「二人で背負ってるんだよ」

そう言いながら、私は心の中で計算していた。退職金を崩さずに、あと何年暮らせるか。娘の大学費用、息子の高校費用、母の介護費用、住宅ローン。数字が頭の中を駆け巡る。

六月、娘がアルバイトを始めた。塾の事務らしい。時給千百五十円。

「自分のお小遣いくらい自分で稼ぐ」

娘はそう言って、初任給で私にハンドクリームを買ってくれた。小さなチューブの、ラベンダーの香りのするやつ。私はそれを受け取って、涙が出そうになった。

「ありがとう」

「また買ってあげるね」

娘は照れくさそうに笑った。

七月、夫がハローワークから帰ってきて、一枚の求人票をテーブルに置いた。地元の中小企業の事務職。年収は三百五十万。今までの半分以下。

「ここ、受けてみようと思う」

「いいんじゃない」

「給料、安いけど」

「仕方ないよ。でも、無理しないでね」

夫は面接を受けて、八月から働き始めた。小さな会社で、社長と事務の女性が二人。夫は経理と総務を任されているらしい。前職の経験が活かせる、と少し嬉しそうだった。

九月、母がまた転んだ。今度は自宅の廊下で。大腿骨を骨折して、手術が必要だと言われた。私は病院と仕事と家事の合間を縫って、毎日のように見舞いに行った。夫も仕事の合間に顔を出してくれた。

「お母さん、大丈夫?」

夫が病室で母に声をかける。母は「すみませんねえ」と何度も繰り返す。

「謝らないでよ。みんなで支えるから」

私が言うと、母は小さく頷いた。

手術は成功した。でも、リハビリには時間がかかる。退院後は、しばらく我が家で預かることになった。夫が「そうしよう」と言ってくれた。ありがたかった。

十月、母が我が家に来た。和室を片付けて、介護用のベッドをレンタルした。ケアマネージャーが来て、いろいろと手配してくれた。私は仕事を少し減らした。収入は減るけど、仕方ない。

夜、夫と二人で缶ビールを飲みながら話した。

「大変だな、これから」

「うん、大変だね」

「でも、なんとかなるよ」

「なんとかなるかな」

「なるよ。俺たち、今までだってなんとかしてきただろ」

夫の言葉に、私は少し救われた。根拠はない。でも、そう言ってもらえるだけで、心が軽くなる。

十一月、娘が大学に合格した。第一志望の私立文系。奨学金も借りられることになった。夫は「良かったな」と何度も言った。息子は「姉ちゃん、すげー」と素直に喜んでいた。

母はリハビリを頑張っていて、杖をつきながら少しずつ歩けるようになってきた。まだトイレの介助は必要だけど、前より表情が明るくなった。

私は相変わらず、毎日忙しい。朝五時に起きて、弁当を作って、洗濯して、母の朝食を用意して、仕事に行って、帰ってきて夕飯を作って、母の世話をして、寝る。余裕なんてない。でも、不思議と前より気持ちは落ち着いている。

夫は新しい職場で、少しずつ慣れてきたらしい。給料は安いけど、残業はほとんどない。休みも取りやすい。心療内科にも通い続けている。

「辞めなきゃ良かったって思うことある?」

ある夜、私が聞いた。

「ないよ」

夫は即答した。

「あのまま会社にいたら、たぶん壊れてた。今は金はないけど、心は楽だ」

「そっか」

「お前には苦労かけるけど」

「もう慣れた」

私は笑った。夫も笑った。

十二月、母が「年越しは自分の家で迎えたい」と言い出した。まだ一人暮らしは不安だけど、ヘルパーさんを増やせば可能かもしれない。ケアマネージャーと相談して、年明けから在宅に戻す方向で調整することになった。

「寂しくなるね」

夫が言った。

「でも、母の気持ちも分かるよ。やっぱり自分の家が一番だもん」

「そうだな」

大晦日、母を実家に送り届けて、みんなで年越しそばを食べた。母は嬉しそうに「やっぱり落ち着くわ」と言った。私は少し複雑な気持ちだった。ほっとしたような、寂しいような。

年が明けて、また日常が始まった。夫は仕事、私はパート、娘は大学、息子は高校受験。母はヘルパーさんに助けられながら、なんとか一人で暮らしている。

時々、夜中に目が覚めて、考える。この先、どうなるんだろう。お金は足りるのか。母の体調は大丈夫か。夫の心は本当に回復したのか。子どもたちはちゃんと大人になれるのか。

答えは出ない。でも、前よりは怖くない。なんとかなる、とまでは言えないけど、なんとかするしかない、とは思える。

夫が隣で寝ている。穏やかな寝息。私は布団をかけ直して、目を閉じる。明日も五時に起きて、弁当を作る。それだけは確かだ。