12年ぶりに届いた母からの通知と扶養義務の話
リビングのテーブルに置かれた封筒を見た瞬間、心臓が嫌な音を立てた。差出人は区役所。中身は「介護保険料滞納に伴う財産調査について」という通知だった。宛名は、私ではなく母の旧姓になっていた。
母とはもう十二年近く会っていない。最後に電話で話したのは、私が二人目の子供を産んですぐの頃だったと思う。「あんたの人生なんて、どうでもいい」と言われて、そこで終わった。それ以来、年賀状も来なければ、こちらからも出していない。どこで何をしているのかも知らなかったし、知りたくもなかった。
通知を手に取ったまま、しばらく立ち尽くした。夫はまだ仕事から帰っていない。中学生の息子が二階の自室でゲームをしている音だけが、かすかに聞こえていた。
区役所に電話をかけたのは、その三日後だった。平日の午前中、パートを休んで。窓口で事情を話すと、若い職員が申し訳なさそうに説明してくれた。母は現在、生活保護を受給していること。住民票上は単身世帯であること。そして、民法上の扶養義務がある親族として、私に支援が求められる可能性があること。
「義務って、私がですか」
声が少し震えた。職員は「あくまで一般的なご案内です」と繰り返した。
母は私が小学校に上がる前に家を出た。父と祖母に育てられた。父は寡黙な人で、母のことは一度も悪く言わなかったが、それ以上に何も語らなかった。祖母は「お母さんは自由な人だったから」とだけ言って、あとはため息をつくことが多かった。
母が出て行ったあの日、玄関で泣き叫ぶ私を振り返りもせず、白いワンピースの裾を揺らして歩いていった。その背中を、四十年以上経った今でも時々思い出す。
私が結婚するときも、母は式に来なかった。「おめでとう」の一言もなかった。出産のときも、入院したときも、何もなかった。私の人生に母がいないのは、ずっと当たり前のことだった。
だから、今さら扶養だの支援だの言われても、何の感情も湧かないはずだった。なのに、通知を見た瞬間にあの背中が浮かんだのは、やっぱり私の中に何かが残っているからなのだろう。
夫には、正直に話した。夕食の後、息子が風呂に入っている間に。
「扶養義務って、法律で決まってるの」
夫は茶碗を片付けながら、静かに聞いてきた。
「そうみたい。生活保護を受けている以上、行政も親族に確認するんだって」
「いくらぐらいになるの」
「まだわからない。向こうの生活状況次第だけど、月に二、三万とか、そのくらいらしい」
夫は少し黙ってから、「美咲が決めればいいよ」と言った。私の名前を呼ぶとき、夫はいつも少しだけ声を低くする。それが、真剣に話すときの癖だった。
「でも、払いたくない気持ちもある」
「わかってる」
「お母さん、私が子供の頃に何もしてくれてない。それなのに、今さらお金だけ請求されても」
「うん」
夫はそれ以上何も言わなかった。ただ、食器を洗う音が台所から聞こえていた。
数週間後、区役所から正式な通知が来た。扶養義務に基づく支援額は、月額二万五千円。私のパート収入と夫の給与を合わせた世帯年収から算出された金額だった。決して払えない額ではない。でも、払いたくないと思った。
ネットで調べた。扶養義務は親子間でも発生する。過去に虐待や遺棄があった場合は減額や免除の余地があると書いてあった。でも、母の行為が法的に「遺棄」と認められるかどうかはわからない。何より、そんなことを証明するための手続きを考えるだけで、気が遠くなった。
弁護士に相談しようかとも思った。でも、無料相談の予約を取る前に、やめてしまった。争うこと自体が、母との関係を認めることになる気がしたからだ。
妹に電話をしたのは、その頃だった。三歳下の妹は、母が出て行ったときまだ二歳で、母の記憶がほとんどない。今は千葉で夫と二人暮らしをしている。
「お姉ちゃん、払うの」
妹の声は、いつも通り明るかった。
「払わないと、たぶん行政から催促が来る。払うしかないと思う」
「でも、ひどくない? 今まで何もしてこなかったのに、お金だけ取るなんて」
「そうだね」
「私も払わなきゃいけないのかな」
「たぶん、収入によっては」
妹は少し黙って、「私、払わないよ」と言った。
「絶対に払わない。お母さんに使われるくらいなら、自分の老後に取っておく」
その言葉に、少し救われた。私だけが冷たい人間じゃないんだと思えた。でも同時に、妹の分まで私が背負うことになるのかもしれないという不安もよぎった。
結局、妹はその後、区役所とのやり取りで「就労不能状態ではないが収入が不安定」という理由で、支援額がゼロになったらしい。私はといえば、パートで安定した収入があるとみなされ、二万五千円を払い続けることになった。
最初の振込をした日、コンビニのATMで画面を見ながら、ため息が出た。二万五千円。一ヶ月の食費の半分以上だ。息子の塾代より少し安いくらい。このお金が、あの母の生活費になるのかと思うと、情けなくて泣きそうになった。
でも、泣かなかった。泣いたら負けだと思った。
母から連絡が来たのは、振込を始めて三ヶ月が過ぎた頃だった。携帯に見知らぬ番号から着信があり、留守電に「もしもし、あたし、お母さんだけど」と入っていた。声は老けていたが、間違いなく母だった。
かけ直すのに、二日かかった。
「もしもし」
「ああ、美�? 久しぶり」
母の口調は、昔と同じように軽かった。まるで、昨日も話していたかのような調子だった。
「お金の件、ありがとうね。助かってるわ」
「……別に、法律で決まってるから」
「そうなの? まあ、なんにせよ、ありがとう」
母はそれだけ言うと、近所のスーパーが安いとか、足が悪くて病院に通っているとか、一方的に話し始めた。私はほとんど相槌を打たなかった。
「ねえ、今度、会えない? お母さん、もう七十三よ。いつ死ぬかわからないし」
「忙しいから」
「そう。じゃあ、また今度ね」
電話はそれで終わった。最後まで、母は謝らなかった。私がどんな思いで二万五千円を振り込んでいるのか、想像すらしなかった。いや、想像しようともしなかった。
それでも、私は払い続ける。母のためじゃない。自分が母みたいな人間にならないために。法律で決まっているから、というのが一番の理由だけど、それだけでもない。
時々、息子が「お母さん、おばあちゃんってどんな人?」と聞いてくることがある。私は「元気な人だよ」とだけ答える。本当のことは、まだ話せない。話す日が来るかどうかも、わからない。
今月も、振込票を手にコンビニへ向かう。二万五千円。このお金が母の生活を支えている。その事実を、私はまだ心のどこかで受け入れられないでいる。