適応障害で仕事を辞めた私を、義実家からお荷物扱いされた話

リビングの空気が、義母の「で、仕事はどうなの」の一言で、ぴりっと張り詰めた。手に持っていた菜箸が、一瞬止まる。今日は月に一度の、夫の実家での夕食会。テーブルには、私が作って持ってきた煮物と、義母お手製の唐揚げが並んでいる。

「あ、今はまだ、その、在宅でできることを少しずつ…」

声がうまく出ない。去年の秋に、長く勤めた事務の仕事を、適応障害の診断で辞めた。それからずっと、この質問をされるたびに、胃のあたりが冷たくなる。

「在宅でできることって、そんなの仕事のうちに入らないわよ。アンタ、もう四十路も半ばでしょ。いつまでパヴェウに養ってもらうつもり」

義母の声は、責めるというより、呆れを含んでいて、それが余計に胸に刺さる。隣に座っていた義妹のカロリナが、スマホから顔を上げずに、小さく鼻で笑った気がした。

「母さん、その言い方はないだろ」

パヴェウが、箸を置いて言った。低い、落ち着いた声だった。彼は普段、家族の前ではあまり感情を出さない。でも、今日は違った。

「アンカはちゃんと治療してる。焦らなくていいって、医者にも言われてるんだ。それに、家のことは全部やってくれてる。感謝こそすれ、養ってもらってるなんて言い方は…」

「感謝? 何に? 家にいるのが当たり前のことをしてるだけじゃないの。あんた一人の稼ぎで、よくやっていけるわね。子供もいないのに」

義母は、私の顔ではなく、パヴェウの顔を見て言った。その視線が、「あんたの選択は間違ってた」と語っているようで、私は下を向いた。テーブルの下で、膝の上のナプキンをぎゅっと握る。

「子供のことは、今は関係ないだろ」

パヴェウの声が、少しだけ大きくなる。

「関係なくないわよ。あんた、このままこの人とやってけるの? 仕事もせず、子供も産まず、週に何回も心療内科に通って。普通の家庭って、そういうものじゃないでしょ」

「普通って何だよ。母さんにとっての普通だろ。俺たちは俺たちで、ちゃんとやってる」

「ちゃんと? どこが? アンタ、最近すごく疲れてる顔してるわよ。誰のせいだと思ってるの」

義妹のカロリナが、ここで初めて口を開いた。

「お兄ちゃん、ママの言うこと、ちょっとは聞いたら? 私の友達にも、奥さんがメンタルやられて仕事辞めた人いるけど、結局離婚したよ。現実見たほうがいいって」

カロリナは、私より五つ下で、二年前に結婚して、去年、男の子を産んだ。彼女の言葉には、どこか勝ち誇ったような響きがあった。私は何も言えなかった。言えるわけがなかった。ここにいる全員が、私の存在を「お荷物」として見ている。そう感じた。

「カロリナ、お前は黙っててくれ」

パヴェウが、妹の名前を呼んだ。その声は、怒りというより、深い悲しみを帯びていた。

「黙ってられないよ。お兄ちゃんが可哀想だもん。昔からそうだよ、お兄ちゃんは優しすぎるんだよ。だから、こんな…」

カロリナは、私の方を一瞬見て、言葉を切った。その「こんな」に、どれだけの軽蔑が込められているのか、痛いほど分かった。

「もういい。帰る」

パヴェウが立ち上がった。椅子が、フローリングの床に鈍い音を立てる。

「ちょっと、パヴェウ、まだ食事の途中でしょ。座りなさい」

義父が、初めて口を開いた。ずっと黙ってテレビの野球中継を気にしていたのに、急に現実に引き戻されたような顔をしている。

「親父、ごめん。でも、これ以上アンカを傷つけるなら、俺はもうここには来ない」

「傷つけるって、誰が傷つけたのよ。事実を言っただけじゃないの。ねえ、あなたからも言ってやってよ」

義母が義父に助けを求める。義父は、困ったように私とパヴェウを交互に見て、それから小さくため息をついた。

「まあ、なんだ、母さんも言い方がきついが、心配してるのは本当だ。パヴェウ、お前ももう少し、現実的に考えろ。この先、ずっとこの状態が続くわけじゃないんだぞ」

「現実的に、考えてるよ。俺たちなりに。だから、今日は帰る」

パヴェウは、私の腕をそっと掴んで、玄関へ向かおうとした。私は、テーブルの上の、ほとんど手をつけられていない料理を見た。私が作った煮物は、義母の箸が一度も触れていない。それが、すべてを物語っている気がした。

「あの、私…」

声を出そうとした。でも、何を言えばいいのか分からない。謝るべきなのか、反論すべきなのか。どちらにしても、この場の空気を変えることなんてできない。

「アンカは何も言わなくていい。行こう」

パヴェウが、私の手を引いた。その手は、少し汗ばんでいて、でも、確かに私を守ろうとしていた。

玄関で靴を履いていると、後ろから義母の声が追いかけてきた。

「パヴェウ、あんた、本気で親よりその人を選ぶのね。後悔するわよ」

パヴェウは、振り返らなかった。ただ、私の靴が履き終わるのを待って、ドアを開けた。外は、十月の夜風が冷たかった。

駅までの道を、二人で黙って歩いた。電車に乗っても、しばらく無言だった。車内は空いていて、向かいの座席に、若いカップルが寄り添って座っているのが見えた。

「ごめん、パヴェウ。私のせいで、家族と…」

「違う。アンカのせいじゃない。あれは、母さんたちの問題だ。前から、ああいうところがあった。俺が、もっと早く何とかすべきだった」

彼は、窓の外の暗い景色を見ながら言った。その横顔は、疲れているのに、どこか吹っ切れたようにも見えた。

「でも、もう、あの家には行かない。いや、行けない。アンカをあんな風に扱う人たちとは、距離を置く。それが、俺の決めたことだ」

「距離を置くって…でも、お義父さんもお義母さんも、年を取ってるし、この先、何かあったら…」

「その時は、その時だ。カロリナがいる。それに、親の介護のために、自分の妻を犠牲にするのは、違うだろ」

彼の言葉は、私を安心させるためのものではなく、彼自身の覚悟のように聞こえた。私は、彼の手を握り返した。でも、心のどこかで、これで本当に良かったのか、という思いが消えない。

あの夕食会から、三ヶ月が経った。パヴェウは、本当に実家と連絡を絶った。義母からは、最初の一ヶ月は何度も着信があった。でも、彼は一度も出なかった。義妹からは、LINEが一通だけ来た。「お母さんが倒れた。お兄ちゃんのせいだよ」と。でも、それは、いつもの大げさな言い方だと、パヴェウは相手にしなかった。

私は、相変わらず、週に一度、心療内科に通っている。仕事は、まだ見つかっていない。でも、少しずつ、外に出る時間を増やしている。近所のスーパーに、夕方の特売を狙って行くのが、今の私の小さな目標だ。

パヴェウは、以前より早く帰ってくるようになった。二人で、静かな夕食を食べる。テレビの音だけが、部屋に流れる。会話は、多くない。でも、あの家にいた時のような、張り詰めた空気はない。

ただ、時々、夜中に目が覚めると、隣で眠るパヴェウの寝顔を見て、思う。この人は、私のために、家族を捨てた。その重さに、彼は耐えられるのだろうか。そして、私は、その選択をさせてしまったことを、一生背負っていくのだろうか。

答えは、まだ出ない。たぶん、ずっと出ないままなのかもしれない。それでも、今は、こうして二人で生きていくしかない。あの家の、あの冷たい空気からは、もう逃げ出したかった。逃げ出せて、良かった。そう、思うことにしている。